95 行人塚(ぎようにんづか)
湖底に沈んだ村の南側に続く狭山丘陵の中に、大筋端という所があり、その山の中に塚がありました。村の人びとはこの塚を「行人塚」と呼んでいました。
昔、ここは足腰の立たなくなった老人や、行きだおれの病人達が、静かに死を待つ場所であったという言い伝えがあります。
江戸時代まで、ここには風化された人骨があったとか、夜など死人の怨念が人魂になって飛ぶのを見たとか言う人もいたそうです。
いつ頃のことかさだかではありませんが、元禄の頃といわれていますが、一人のお坊さんがここを通りかかり、あまりに悲惨な様子を悲しみ、里人達にその供養をたのみました。
「私が打つ鉦(かね)の音を聞いたら、里人よ山にのぼってきて死体をねんごろに葬ってほしい」
と。
それからというものお坊さんの打つ鉦の音が山合いにひびくと、里人達は山に登って死人を手厚く葬るようになりました。
それから誰いうとなく、この塚のことを、「行人塚」と呼ぶようになったそうです。
この話は親から子へ、子から孫へと言い伝えられてきたのでしょう。明治になってからもまだ人魂が出るとか言って、あまり人が近寄らなかったようでした。
現在でも行人塚と思われる塚が、下貯水池の南側中央あたりにそれらしい形で残っています。
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東大和の歴史に作成